TSUTAYAのトイレで、社会学を思った

島内唯一のTSUTAYAに、久しぶりに行った。

高校の頃の記憶で補完しながら店内を想像していったのだが、着いてみると全く違うことになっていた。VHSやDVDの棚はごっそりなくなって、代わりにタリーズコーヒーができたり、雑貨が並んでいた。需要がなくなった世の中に、TSUTAYAもちゃんと適応していた。適応できていないのは、私の記憶の方だった。

幼い頃、家族でVHSを一人一本借りて、代わりばんこに観るのが楽しみのひとつだった。弟が選んだ仮面ライダー系のものを、あまり乗り気でもなく観たことだけ、なぜかよく覚えている。自分が選んだものは、覚えていない。好きで選んだはずなのに。記憶とは、都合がいいものだ。


トイレに行きたくなって、店の奥に向かった。

個室が二つとも埋まっていて、先に並んでいるおばさんがいた。私が列に加わろうとすると、「どちらも埋まってるのよ」と声をかけてくれた。「あ、ありがとうございますっ」と、咄嗟に感謝が出た。そのままふたりで、黙って順番を待った。

ここで、少し思考が止まった。

他者に話しかけられたのに、他者に話しかけられたときの緊張感がない。都内で同じように見知らぬ人に声をかけられるときとは、明らかに何かが違う。距離を測っていない。測らなくていい気がしている。

なぜだろう、と思った。


おそらくここで働いているのは、社会心理学者の Tajfel と Turner(1979)が提唱した「社会的アイデンティティ理論(social identity theory)」が言うところの「内集団(in-group)」の感覚だ。人は自分が所属する集団のメンバーに対して、無意識に親密さと安心感を抱く。見知らぬ相手であっても、「同じチームだ」という認識が生まれた瞬間、脳はその人を「敵ではない」と判断する。

平たく言えば、「佐渡の人」というだけで、すでにチームメイトなのだ。


所属意識には、安心感がある。

距離を測らなくていい。存在していい、という感覚。攻撃されないとわかっているから、構えなくていい。都内での他者との接触が「デフォルトで警戒」だとすれば、佐渡でのそれは「デフォルトで信頼」に近い。

ただ、ここで少し立ち止まりたい。

その安心感は、所属している人間にしか届かない。チームメイトの感覚は、チームの外にいる人間を、静かに排除する。

佐渡に「よそ者」として来た人間には、あの安心感は届くだろうか。それはきっと、もともといる側が「よそ者」という眼差しを手放せるかどうか、の問いでもある。

所属することの心地よさと、所属できないことの孤独は、たぶん同じ構造からできている。

それが、変な所属感、と呼んだ理由だ。

TSUTAYAのトイレで、社会学を思った話である。


引用文献

Tajfel, H., & Turner, J. C. (1979). An integrative theory of intergroup conflict. In W. G. Austin & S. Worchel (Eds.), The Social Psychology of Intergroup Relations (pp. 33–47). Brooks/Cole.

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